デザインバランスの悪い、最たるものは、暗く、奇をてらい、ごちゃごちゃしているマン
ションギャラリーです。
こういう低開発国なみのレベルの会社が、デザインを売り物にしています。
ただ、あきれるばかりです。つまりは、成金さん狙いということでしょう。
窓やドアやモ-ルが美しいこと、それが美しい住宅の特徴です。
なぜなら、それは額ふちの役割があるからです。
窓とドアを中心にしてカ-テンやクロスに花を添え家具が物語を作る。
花を添えるとは華やかさ、楽しさの演出であり、物語ではそこに個性が求められる。
そこに主役の人間達(複数)が登場し部屋は背景となりますが、あくまでも人間以外は
脇役です。デンマークでは花壇についてうるさく言います。
ドイツではガラスの汚れをうるさく言います。
脇役を予算的にもデザイン的にも人間以上に突出させては、人間自体の存在感がなくなっ
てしまい虚飾の家になりますが。しかし、そういう家も多いです。有名人の家。
人間が主体的な存在でありうる空間が、本来あるべき空間のはずです。
シンプルが何故良いか、建築家が何故コンクリ-トの打ちっ放なしにこだわったか。
それは物を人間以上に突出させないためです。
もう少し補足すると水道の蛇口の取っ手やドアのノブはどうなのか、それは人間が直接、
接触する部分であるから重要なのです。
しかし見て楽しいこと、手を振れて豊かさを感じるということ、実用的であり周囲との
デザインバランスが良いという条件が必要。
予算的にも部分が突出して他の快適性を阻害してはいけません。
実用的な不自由さをがまんするのはファッションの世界だけで、家の中までもってくるの
は行き過ぎです。
現実的にはデザインのおもしろさを優先して実用性が阻害されているケ-スが非常に多く。
水道の混合栓は手を洗うという動作分析からしてワンタッチレバ-方式のほうが断然便利
で合理的ですが、デザインでは、混合栓にしないデザイナーがいます。 洗面台も水が飛
び散ることを考慮せず、単位デザインの面白さを強調するのがリフォーム
のデザインです。
家も1軒目の人と2軒、3軒目の人とでは合理性の追求の仕方が異なります。
デザインバランスと実用性を考慮し予算配分をして道具を考えると、どうあるべきか、ど
うすべきかが、わかってくるはずですが、デザイナーは、自分の存在価値を高める為にデ
ザイン性を優先します。
しかし多くの人はそのバランスを考えないまま、趣味、嗜好や部分的なデザインの興味、 虚栄に流されてその本質を見失います。
つまり人間の生活の背景としてのデザインではなく、デザインだけをひとり歩きさせてい
ます。
例えば建物の材料を質素にしてシンプルにする事の目的を拡大して人間の居住空間まで簡 素にしすぎたり、脇役のコンセントのプレ-トまで金メッキにすることで引き立たせすぎ たりしてデザインの本質を見誤っています。
柄入りタイルや、真鍮もののタオルかけ等、視線を引きすぎて他の存在感を否定するもの は、部屋の落ち着きを無くしてしまいます。
基本カラ-の中心となるフロ-リングの色が暗く重いとかクロスが派手過ぎるとカ-テ ン や家具や絵画はさらに重い色にしないと浮いてします。
何もかもに力を入れすぎると絵になりません、この状態をキンキラキンと言います。
最近、雑貨に人気がありますが、写真盾とか鏡とか、これらは人間が対話する対象だから
心理的に重要な意味を持ちます、しかし、心理的に意味を持たないものまでに凝るという
のは本末転倒の単なるデザイン遊びにしか過ぎないということ。
そして遊びに凝りすぎると居住空間のデザインバランスはくずれ主役がだれかがわからな
くなる、本質を言うと、主役は、小道具によって自己の縄張り行動を進めている人その人で す。
その主張には冷静さや合理性はなく自己の縄張りを拡大する自己主張の感情だけが存在し
ています。
なぜ、この人たちが感情的になるのか、この心理的背景は人間的、心理的な視点を持たな
い設計者やコ-ディネイタ-にはわかりません。
対人関係を構築することが下手な人々、わずかに残された家族の心を独占したい人は空間を
独占することが自分の存在を中心に置くと言う事であり、心理的な生きる糧である愛情を得
るということだからです。
その人たちに共通していることはコミュニケーション能力が弱く、よく自己主張のおしゃべ
りはするけれど適切な表現方法を失っている、論理性にも弱い、だから道具立てにしか頼
る術を持たないわけです。
例えば台所の場合、流し台の道具としての機能性とは関係ない表面上の扉やデザイン、天
板の材質に凝る、唯の箱である流し台という代物が外車が買えるような高価な金額にな
る。その次は高価な食器に凝る、これは主婦の縄張り行動の典型例です。
流し台が台所で突出した存在を作るという事は、食事をするテ-ブルやその上に置かれる
花や料理、語らいの主役である人間達それを引き立てる照明の存在をはるかに超越してし
まいます。
流し台がいかに輝いても、なま物を扱うその周辺はカタログの様には美しく保てません。
流し台はできるだけシンプルで掃除がしやすく、存在を感じさせない様に、食事風景の
清楚で美しい背景として位置づけることがデザインバランスとして重要です。
そうすることで食事のテ-ブル周辺が引き立って部屋全体が台所的でなくなります。
流し台は、あくまでも脇役、流し台のメ-カ-のカタログは流し台を誇張して部屋や人間の
生活ドラマをまったく無視。
またそれに踊らされる主婦は、それによって自分を支配者として位置づけるための道具と
してしか考えていない。
そういう主張がいつかは、家族関係の歪みを生ずる原因となります。
そして、部分的なデザイン選択に流れ過ぎた人は、人間関係が孤立化し社会的な客観性
を失うことを助長する、これがアンバランスなデザイン選択の結末となります。
外国のイメ-ジをどう捕らえるかによって色の構成は変わりますが、
1、明るい、楽しい、暖かい、きれい、清潔、カラフル、自他共生的、
2、伝統的、暗い、重々しい、高級、キンキラキン、権威的、他人否定型に大別される。 後者は、物事に対して否定的でエネルギ-が低い。
浅いよりも深い、あっさり感よりひつこい、明るいより暗い、軽いより重く権威的、柔らか
いより硬く、実用性よりデザイン的、淡いよりキンキラ、きれいより汚い、単純より複雑を
求める人は、人生観の見直しが先決、輸入ものを金持ちの象徴とするか、より人間的なもの
を求める対象とするかを問い直して見るとよい。
カントリ-とかアンティックとかの→イメ-ジ心理の流れは、伝統的→古い→古くさい
→暗い→重い→保守的な生き方変わらなくてもいい自分を演出する事にある。
新しい→明るい→きれい→やさしい→新しい生き方を模索するという方向とはまったく
異なります。
同じ輸入住宅でも、この違いによって作り方の根本から違ってきます。
前者は、古くさくて自分好みであればそれでよい、権威的であればさらによいと考える、
後者は心理的、身体的な快適性を考え、古いデザインでも現代にマッチする洗練された物
を選ぶ。
現代の工業商品に囲まれた生活の中ですべてをオ-ルドな雰囲気にする事は出来ない。
だから古くさい物を取り入れるときには周囲とのバランスに特に注意を必要とします。
これを怠ると、どちらもが相殺して浮いてしまう。
照明についてインテリアコ-ディネ-タ-が中心になってデザインした家は、それなりに
デザインバランスが出来ているが、素人が自分の好みでバラバラに取りつけた照明器 具な
どはデザイン、照明方法いずれもアンバランスで奇異な仕上がりになり部屋の仕上 がりを
壊します。照明だけに限りません。
原因は一品、一品の自分の好みだけで選び、部屋との調和、実用性、光の方向等を無視した
結果、アンティックな中から選択すれば良いという単純な発想が招いた哀れな結果と言える
が当の本人は、その浅はかさに気がついていません。
生活感、生き方、家全体のデザイン、中心となるカラ-これらによって器具や、家具はすで
に規定されているのに照明器具だけを全く別物として引っ付けていく、ここにデザイン、照
明上のアンバランス発生の原因があります。
間接照明は、日本人は下手です、逆に暗すぎる家も問題あります。
照明器具は、特に単体と考えるでなく照度、光の方向(特に直接光が目に入らないよう
に)色、形、夜間照明時の陰影感、光の 色、収束か分散か部屋とのバランスなどを考慮し
なければならないのに美化された流行を無分別に取り入れたり、あこがれを取り上げた雑
誌の紹介記事に同調するのでは単なる物真似で、そこには自分の生き方やデザインセン
ス、デザインバランスは存在しません。
照明の場合は、光も形も目にやさしいことが部屋の雰囲気作りに欠かせないですが、真
鍮物の輸入品は、光線も直射的でまぶしく器具はキンきらしてデザインは鋭角的で重々し
く薄汚れた感じで、価格も高すぎるのでバランスを欠き照明がかもし出すやんわりとした
温和な感じはなくなります。
※照明器具は電気器具の中でも一番雑に作られています、国産品で高価な有名メ-カのも
のでもお粗末なものがあります。まして外国製品、特に後進国製の物の電気的信頼性は非
常に低いと考えておいたほうがよいです。
価格は3割引きにしてくれます。